感染管理と人の心

私は講演などで実践現場の方々によくこう問いかけます『患者さんがお使いになる物品を、皆さんは自分自身が使うことができますか?』と。そうすると多くの聴講されている方々は、自分自身が使うことができないことに気付いておられます。そこで、私も間髪要れずに『自分の使えないものを患者さんに提供してはいけませんね』とさらに聴講者には問いかけて、病院へ帰られたら改善を求めています。感染管理は何も難しいことはありません。基本的な考えは全てにおいて自分が患者さんになった時に、現在自分が提供していること全てが自分自身受入れられるのかということに尽きると思います。もちろん、感染管理を学んでいない方々や情報がない方々には、現実行われていることが患者さんにとって最も良いことだと信じて疑う余地もないと思いますが、実際には感染管理からみると"誤解"をしていることも多くあります。しかしながら、少しでも感染管理を学んだ方々は、誤解については気付いているはずであり、気付いているのなら改善するのが医療従事者として、というよりは"人"として当たり前の行為ではないでしょうか。最近病院では患者さんを『患者様』とサービスの一環として呼称するようになりました。もちろんそれ自体は私も何ら異論はありませんが、私はここで問いたいのは、この『患者様』に心がこもっているのかどうかを問いたいと思います。例えば、前述したような自分自身が使えないものを、知識や情報があって改善しなければならないと分かっていながら、組織に対して何らアクションを起こさず継続して漫然と患者さんに使い続ける医療従事者の"心"に問いかけたいのです。これで本当に『患者様』という呼称が適切なのでしょうか。呼び方だけをいくら変えても心を置き忘れてはいけません。人は心がこもっているとそれはよく分かるものなのです。
また、心のこもった感染管理をできないもう一つの大きな理由は、経費節減のあおりを真正面から受けていることでしょう。病院経営状態がどこの組織も余裕がなくなり、医師や特に管理職の方々への経費節減はかなり厳しく至上命令として実施されていることだと思います。そこで、今まで行ってこなかった感染管理を行うと、とりあえずお金がかかるわけですからこれが経費節減の槍玉にあがり必要なお金まで使えない状況が実際に起こっています。これは本来必要なお金を使っていなかっただけですので、お金がかかるという発想はどうかと思うのですが、とりあえず、事務部門からは目に付くお金であるのは事実のようです。しかしながら、何もかも一緒に経費節減という形で片付けないでほしいと思っています。もちろんそのためには、不必要なものは使用しないという臨床実践の努力も必要ですし、自施設でのリスクアセスメントをして優先順位をつけて実行してゆくなどの必要性もあると思います。これを実践することで必要経費を捻出することもできるのではないかと考えています。もう一度繰り返しますが、感染管理は人間が呼吸を意識せずに行うごとく、本来医療では当たり前に実施されなければならないことなのです。そしてそれにはお金がかかるのです。もし、経費節減のあおりで前述した『自分自身が受け入れられない感染管理』が存在するならば、それはもはや本末転倒と言わざるおえないのではないでしょうか。どうぞ皆さんお金のためだけに必要なことまで実施しないという人の心を置き忘れた感染管理の実践だけは是非しないでいただきたいと思います。